この素晴らしい団体が発足して、今度で5回目の音楽会に向けて活動することになりました。いままで、どんなことを積み重ねてきたのか、ちょっと振り返ってみようと思います。
最初はとにかく、音を合わせるということからでした。最初に気がついたことは「響き」を味わうというものでした。音を放ったあとをどう処理するか。余韻をどのように愉しむかということに、こだわってみました。実際、チマローザなどでは、余韻に浸るというようなことも実践できました。(続く)
Commented by yuyu at 2009-05-28 17:37 x
しばらく日がたっていくと、トレモロとピッキングの関係について、いろいろと試みました。「音符の長さの半分しかトレモロをしない」という、禁欲的な奏法も試してみました。そこで気がついたことは、「トレモロの数」ではなく、「音を保つために」どう音を放つかというところです。そもそも、音を持続させるということが目的であって、トレモロの数ではないということです。最適な響きを出すためには、それぞれの楽器の特性によって違うものがあるはずです。響く楽器、響きにくい楽器があります。それを奏法で規定するのではなく、「実際に出てくる音のイメージ」を共有していこうというものです。繰り返し試してみながら、その最適地というところが見出されてくるものなのです。ただ、不思議なことに、楽器は響きを大切にしようと思ってアプローチしてみると、つまり、いい響きで引き続けると、鳴ってくるようにも感じられることです。 Commented by yuyu at 2009-05-28 17:37 x
次にこだわってきたことは、「フレーズの行方」ということです。旋律はどこに行こうとしているのか、ここではとくに「押し」と「引き」というようなこと、つまり、向かっているのか、弛緩しているのか、といったことにもこだわりました。フレーズの放物線をどう描くかということは、あまりはっきりと共有してわけではありませんでしたが、前橋の公演あたりでは、ごく自然に、みんなで同じような放物線を共有できたようなところもありました。この、「みんなで行く」(共感)ということが、何かとても素晴らしいことだっていうことも体現できました。なんだか、音楽をやっていて、とくに合奏をするという意味で、何か特別なことのように感じられました。それは、歓びにも通じるものです。 Commented by yuyu at 2009-05-28 17:37 x
最初はとにかく、音を合わせるということからでした。最初に気がついたことは「響き」を味わうというものでした。音を放ったあとをどう処理するか。余韻をどのように愉しむかということに、こだわってみました。実際、チマローザなどでは、余韻に浸るというようなことも実践できました。(続く)
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しばらく日がたっていくと、トレモロとピッキングの関係について、いろいろと試みました。「音符の長さの半分しかトレモロをしない」という、禁欲的な奏法も試してみました。そこで気がついたことは、「トレモロの数」ではなく、「音を保つために」どう音を放つかというところです。そもそも、音を持続させるということが目的であって、トレモロの数ではないということです。最適な響きを出すためには、それぞれの楽器の特性によって違うものがあるはずです。響く楽器、響きにくい楽器があります。それを奏法で規定するのではなく、「実際に出てくる音のイメージ」を共有していこうというものです。繰り返し試してみながら、その最適地というところが見出されてくるものなのです。ただ、不思議なことに、楽器は響きを大切にしようと思ってアプローチしてみると、つまり、いい響きで引き続けると、鳴ってくるようにも感じられることです。 Commented by yuyu at 2009-05-28 17:37 x
次にこだわってきたことは、「フレーズの行方」ということです。旋律はどこに行こうとしているのか、ここではとくに「押し」と「引き」というようなこと、つまり、向かっているのか、弛緩しているのか、といったことにもこだわりました。フレーズの放物線をどう描くかということは、あまりはっきりと共有してわけではありませんでしたが、前橋の公演あたりでは、ごく自然に、みんなで同じような放物線を共有できたようなところもありました。この、「みんなで行く」(共感)ということが、何かとても素晴らしいことだっていうことも体現できました。なんだか、音楽をやっていて、とくに合奏をするという意味で、何か特別なことのように感じられました。それは、歓びにも通じるものです。 Commented by yuyu at 2009-05-28 17:37 x
「プレ素、4回目の音楽会」 のお知らせ

2009年4月19日(日) 午後
カザルスホールにて (神田駿河台)
詳細は追って掲載します
プレソ第4回目の音楽会に向けての選曲が
どうやら始まるらしい…

2009年4月19日(日) 午後
カザルスホールにて (神田駿河台)
詳細は追って掲載します
プレソ第4回目の音楽会に向けての選曲が
どうやら始まるらしい…
プレソ第4回目の音楽会に向けての選曲が
どうやら始まるらしい…
みなさんは、どんな曲を聴いてみたいですか?
【Comments】に、ご希望の曲をリストアップしてください。
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「マンドリンとギターのアンサンブル」
カフェ・コンセール
ギター 尾尻 雅弘さん
マンドリン 小穴 雄一さん、桜井 至誠さん
2008年3月16日(日)15:00 開演
於:Cafe Olimpico(カフェ・オリンピコ)
【マンドリン二重奏】ファシコーロ第2番(カラーチェ)、ドイツ舞曲集(モーツアルト)

【マンドリンとギター】フィガロの結婚より3つのアリア(モーツアルト)

【ギター独奏】大序曲 作品61、「魔笛」の主題による変奏曲(マウロ・ジュリアーニ)

【2つのマンドリンとギター】ラグタイム・ダンス(スコットジョプリン)、ジュ・トゥ・ヴ(サテイ)、アイ・ゴット・リズム(ガーシュイン) 他‥
桜井君がスィングしています♪




●本番が跳ねた後の、特別アンコール♪
こちらの方が「はじけて」いました!(笑)シャッタースピードが間に合ってません…



カフェ・コンセール
ギター 尾尻 雅弘さん
マンドリン 小穴 雄一さん、桜井 至誠さん
2008年3月16日(日)15:00 開演
於:Cafe Olimpico(カフェ・オリンピコ)
【マンドリン二重奏】ファシコーロ第2番(カラーチェ)、ドイツ舞曲集(モーツアルト)


【マンドリンとギター】フィガロの結婚より3つのアリア(モーツアルト)

【ギター独奏】大序曲 作品61、「魔笛」の主題による変奏曲(マウロ・ジュリアーニ)


【2つのマンドリンとギター】ラグタイム・ダンス(スコットジョプリン)、ジュ・トゥ・ヴ(サテイ)、アイ・ゴット・リズム(ガーシュイン) 他‥
桜井君がスィングしています♪




●本番が跳ねた後の、特別アンコール♪
こちらの方が「はじけて」いました!(笑)シャッタースピードが間に合ってません…



今回のプレソのひとつの試みは、「短いトレモロ」というふうに言ってもいいかもしれません。「短い」という表現はかなりあいまいですが、「適度な」と置き換えてもいいかもしれません。トレモロを終えたあとの処理にこだわる。トレモロで最後の「ダウン」または「アップ」でもどちらでもいいのですが、その放った最後の響きがどう飛んでいくか。ぼくはゴルフはやりませんが、フォームがきっちりしていると玉は遠くに飛んでいく。あれも打った後どれくらい飛ぶかということが問題なのでしょう。ピッキングのストロークにも同じことが言えるのだと思います。トレモロをやめて、その最後の音がどのように響くか?そういった技術を獲得して、それをさまざまな響きで制御できたら、おそらく音そのものが楽しくなるのではというふうに考えます。最近の練習でずっとこだわり続けていることのひとつです。単純に、機械的にほんとうに音符のど真ん中で切るというものでもなく、そこには自然な分離というのでしょうか?この恣意的ではない、自然な流れというのがポイントだと思います。花びらや葉っぱが散るときのように、さらっとしているのかもしれません。意図的ではあるのだけど、それはむしろ自然の摂理のようにすら思えるくらい、さりげないものでなければならないでしょう。その、ふっとした感じでみんなで一斉に(ほぼ一斉に)トレモロの振幅が放たれて、単音の音が豊かに響き渡ったときの至福感っていうんでしょうか、それこそがプレソがめざす、ひとつの響きの世界のように思います。このあいだ練習した「ホルベルグ」の最後で4分音符が連なっていくところなどはその典型的なところだと思います。おそらく、トレモロをする長さというのは、それぞれの4分音符の半分くらいでいい。ただ、問題はそのトレモロを弾き終えた瞬間のところです。4分音符ですから、拍一杯には響いていたい。しかもトレモロをしているときの響きとまったく損傷ない音量と響きで満たさなければならないんです。そんなの無理だよう?そうですよね、物理的には不可能かもしれません。ただ、そういう思いのようなものでこだわってみると、何かが変わるはずです。その何かを共有することこそ、アンサンブルのひとつの楽しみなのではないでしょうか。合奏の醍醐味は何かを共有することであって、お互いの音を競うことではありません。その瞬間の音のイメージ、音の色あいなど、まさに音にこめる思いのようなものでしょうね。ただ弾いてテンポがあったらそれで終わりではない。むしろそこから始まるというものでしょう。もうひとつは、トレモロを弾くときの振幅の問題です。昔は、いわゆる「中膨らみ」の禁止条例が敷かれていました。これはご法度だったのです。ただし、ぼくたちがめざすひとつの指針であるところの「ピリオドアプローチ」という視座で、このことを捉えなおしてきると、意外に「適度な中膨らみ」というのも「あり」なのではというふうにも思えてくるのです。なんでもかんでも中膨らみということではなく、「豊かな中膨らみ」というのでしょうか、つまり、トレモロにも助走が必要でしょう。いきなり飛ばすということが要求されることもあります。「くっきりとした音の立ち上がり」が要求されるような場合です。ただ、普通の歌だったら、振幅が次第に高まる(あるいは速まる)というのは、自然であればむしろ心地よいのではないでしょうか。弧楽器のバイオリンを聴くと、しなやかに弧を描くように「中膨らみ」しています。あれも、弦をこすり始めてから、ふわっと音が立ち上がるのに時間を要するからに違いありません。振幅の揺らぎということもひとつのテーマだと思います。
さて、トレモロの回転数についてですが、ぼくは基本的には荒いほうがいいと考えています。まるで、ひとつひとつのダウンとアップの音が識別できるくらいの早さでいいと考えています。そもそも、トレモロとは音を持続するための技術ですから、それぞれのダウンとアップの音の音色が早いストロークによって蔑ろにさえれてしまっては本末転倒、言語道断であります。ひとつひとつのダウンとアップにはどのような力とタイミングと音の質感で鳴らすのか、そう考えるとそれほど速く弾くわけにはいかないでしょう。そういうふうに弾けば、自ずから単音に引き継ぐことがむしろ容易に実現できることでしょう。つまり、トレモロから単音に放つときというのは、トレモロの最後のアップ、あるいは稀にはダウンのときもあるでしょう、その音がゴルフのスイングになるわけですから、そこが肝心です。そうなると、どこがトレモロの終わりで、その最後のストロークをどう対処するかということで、その次の単音の音の質感、色合い、響き方、響く距離などが決まるということに違いないからです。そういう意味ではトレモロの数にこだわるというアプローチも一理あるといえましょう。ただ、ここで要注意なことは、全員で数を決めるということではありません。それは、まったくのナンセンスです。それは楽器の響きがひとつひとつ違うからです。これはマンドリンの宿命ですが、魅力にもなっています。ひとつひとつ違うということですね。それだからこそ、この合奏はここにしかないサウンドをつくるということにも繋がっているということです。最大限に楽器の音を鳴らす。これが基本です。そうやって引き続けると、じつは楽器も鳴ってくるはずです。ぼくはずっとそう信じて楽器を鳴らしてきました。弦を振幅させて、ある波長を捉えたとき、その音が最大限に響く瞬間というのは、その楽器を弾いてみないとわからないことですが、その波長と振幅があっていないと、不幸なことが起こります。そういう弾き方を続けていると、楽器は死んでしまうでしょう。名人が鳴らすと楽器が鳴るようになるという体験をぼくも目の当たりにしたことがありますが、確かに「楽器を鳴らすように弾く」ということはとても重要なところだと思います。
マンドリンのあらゆる合奏を聴くたびにがっかりすることは、フレーズの終わりの処理がいかにもおそおまつだということです。なんだかぶっきらぼうで、雑ですね。それに呼吸がない。フレーズの最後は呼び拍でここで息を吸う。息をこらす。次のフレーズの長さによってその深さも変わってくることでしょう。そういう息づかいがないという演奏があまりに多い、マンドリンはよく走るといわれますが、とくに歌と一緒にやると歴然としてしまいますが、大抵歌手は窒息してしまうか、卒倒するかのどちらかです。トレモロを途中でやめることによって、むしろピッキングで弾いているかのような流れの方を重視していく、さらにには単音とトレモロが同次元で扱える(切り替えではなく)ということになるのではと、ここからの新たな可能性が広がるのではと期待を寄せています!トレモロを敷き詰めないことで呼吸するゆとりも生まれてきます。この敷き詰めないトレモロは、音楽そのものをやるために、重要な鍵を握っているような気がしてきます。
こういう視点で、もう一度、全ての作品を捉えなおしてみてください。そして、その長さにこだわっていきましょう。最初に「短い」というふうに示しましたが、「適度な」長さを探っていきましょう。そういう議論をしたいと思います。
ギターの方には、次回「横向きの和音」というテーマで、わたしたちの「ピリオド的アプローチ」について考察してみたいと思います。もちろん、ギターのみなさんは「専門家」ですから、こちらは「イメージ」しかお伝えできませんが、できればイメージを共有して、それをどう実現するか、その最適性を追及していきたいと思います。
「ホルベルグ」はとてもいい材料ですね。しかし、初回にしては(いやその前に一回やりましたが、あのときは楽譜が不十分でした。)プレソの音がしっかり鳴っていて、とてもうれしくなりました。もう、ぼくたちは着実に何かを掴みつつある、そう実感しました。ここにしかない音が芽生え始めています。あとは、もっともっと話し合って、掘り下げていきましょう!
ゆう
この間練習したことについて、ちょっとだけ復習しておきます。プレソはたった月1回の練習だから、それに出れないとなると、2ヶ月もブランクになってしまいます。練習回数が少ない分、なんていうかその間を埋めるような仕掛けがあってもいいかもしれません。しかし、プレソの素晴らしいところは、基本みんな練習に参加したい。だけど、人生いろいろあって出れない、でも、お互いのことを気遣っているっていうことだと思います。アンサンブルは信頼関係が前提だから、オープンにみんな練習に出れないときは連絡しあっています。素晴らしいことですね!この、絆っていうんでしょうか。だから、練習で何をしたのか、しっかりシェアしておくっていうことも大切なことに違いありません。
最近のプレソでこだわりはじめていることのひとつに、「入り」と「抜き」っていうことがあります。これはテンションの問題だと思うんですが、つまり、「だんだん高まっていくのか」それとも「さがっていくのか」とうことです。音量と無関係ではないと思いますが、ひょっとすると「音の密度」の問題かもしれません。演奏上どうすればこの感じが表せるのかっていうのは、奏者に委ねるとして、指揮者の立場からの要求とすれば、勢いが増すのか衰えるのかっていうことかもしれません。参考にすべきはいわゆるピリオド奏法という古楽器アンサンブルのことです。フンニャーっていう音ですね。必ず音の行方は「抜き」になっている。ちょうど水が上から下に流れていくように、まるで流れ星が尾を長く引くように、流線型っていうのかな。そう、自然界に観られるような「減衰」の仕方が理想でしょうね。それをトレモロっていう技術で表現しようとしたら、トレモロの回転数の問題ではなくて、密度っていうところにいよいよ踏みこまなくてはならないという気がしてくるのです。
次の問題は、これもマンドリン系への注文になってしまいますが、「トレモロで音符を敷き詰めない奏法」のこと。別の言い方をすれば「音符の途中でトレモロを止めてしまって、ただし、最後に単音に移行するときに、まるで鳥が上昇気流を捉えるときの瞬間のように、空に舞い上がるように単音に移行する奏法」つまり、トレモロから単音に移るときに、響きを保ってその響きの行方にしっかりと責任を持たせるっていうことです。単音で放った瞬間に音符の長さを意識することができるわけで、そうなると、たとえば付点4分音符と8分音符の組み合わせのようなパターンの場合、付点4分音符の真ん中くらいで単音に放った瞬間に、次の8分音符の場所を正しく見定めることができるのでは、というところです。さらに言うと、激しいぶっ放し方の移行と、柔らかくまるでいつ移行したのかわからないくらいに溶け込んでしまうような移行の仕方があると思います。前者は比較的容易なやりかたで、下手をすると、妙に拍拍(はくはく)してしまったりします。それは、真ん中で切るというふうに誤解してしまったときに陥りやすい現象です。そうではなくて、放った先の音のイメージを大切にしさえすれば、ソフトランディングが可能となるのです。このトレモロと単音のつながって出来る音作りがひとつのテーマになると思います。
今回のチマローザはまさにこの実験にはぴったりの材料と言えましょう。詳細は各パートのリーダーに相談してみてください。
シンプルシンフォニー
1楽章
冒頭の4拍目と次の1拍目のパターンは最初の4分音符は短めに、2つ目の音の方は4分音符分しっかり保つということにしました。いままでの練習では2分音符のように響かせていましたが、ここは、きっちり4分音符分ということにします。
6小節目のアウフタクトから始まるギターとチェロの第一テーマ。これは、いろいろなパートでも奏されますが、このアウフタクトの場所と、次の1拍目の4分音符(マンドリン系はすべてトレモロとしました)の関係がいのちです。離れすぎてもいけない、くっつきすぎて、転んだようになってもだめ。全体的にこの曲はアウフタクトがいのちですね。小気味いい乗りで、運動が淀まないように。この曲のもうひとつのモチーフは最初セカンドで7小節目のアウフタクトで現れる8分音符の旋律。これを「批評家のお小言」としましょう。批評家はいつもぶつぶつと理屈をこねくり返しています。この「ぶつぶつ言う」感じを表すには最初はピアノでもちょっとくっきり弾き始めて、弾きはじめたら、必ず「ぬく」ということです。そこはかとないような音で、陰でこそこそやるみたいに、そう、まるでひそひそ話しでもするかのように。しかし、うわさ話はあっという間に伝染して、広まっていくものです。7小節目の3拍目の4分音符の長さが微妙です。この音は当然のことながら、フレーズの終着点。だから、その次の4拍目に「ずるずる」と滑り込んではいけません。改めて、4拍目から批評が始まる。フレーズ感を明確に描きたいところです。
ドラだと同じようなところは11小節目のアウフタクトから3拍目までがひとつのフレーズ。始まってから3拍目に到達するまではひとつの勢いでまいりましょう。改めて4拍目からまた始まりますので、そこはくっきり、それでまた抜きです。ファーストだったら、この「批評家」のフレーズが出てくるのは23小節目にアウフタクトから。フォルテとありますが、ここも「抜き」です。第一テーマはいろいろなパートに表れますが、アウフタクトのチャーミングな感じがどこで表れても同じようなニュアンスでいけたらと思います。32小節がひとつのサミットです。その3拍目まで駆け上がる感じはどうしたって、前のめり気味になります。むしろその方がいきいきとした感じになっていいのだろうと思います。一気に駆け上がる!となると、その小節の4拍目でテンポを戻すために、長めになるのは自然な流れでしょう。33小節目は冷静にインテンポで。ここはふらふらしないようにしましょう! 14小節目の頭の4分音符、18小節目の頭、20小節目の頭、そして、ちょっと不規則にはなりますが21小節目の3拍目の4分音符は長めに取りましょう。ただし、そのあとは冷静に戻してメゾフォルテにもどってください。このあたりがイギリスの音楽っていう感じがします。どこか、くそ真面目っていう感じがしてくるのです。それで、またぶつぶつ言っていやがる、みたいな感じです。4分音符で動いている人も、まるで何事もなかったかのように、涼やかにテンションを戻して、このあたりは、まるで、ポーカーフェース、気位の高さすら髣髴とさせます。上手い演奏を聴くと、このあたりの8分音符で動く「批評家」の派パッセージは遅く聴こえるくらいです。テンションがあがらないんですね。このあたりはロッシーニのようになったらむしろ台無しです!
35小節目からは、第2主題の登場です。この伴奏パートの付点2分音符は2分音符分の長さのところでトレモロを止めましょう。ただし、その後は響きで残すようにしてください。第2主題そのもの弾き方は前半がテンションの「入り」で、後半は「抜き」。「抜き」が始まる最初の音が頂点になるように。その音がくっきりと聴こえてくるように工夫してみてください。たっぷりとふくよかに響き渡るように、音の立ち上がりにも工夫が必要です。7小節目からはピアノの世界。86小節目からはセカンドとファーストの掛け合い、それがドラに移り、チェロとギターに受け継がれる。今度はセカンドとチェロとギターの掛け合い。このあたりは4分音符の流れがくっきりと聞こえるように、逆に8分音符の「批評家」パッセージは小さめに。106小節目からはドラとセカンドが重なり合いながら、そしてセカンドとファーストの掛け合いに発展していきます。114小節目からは全体としてクレッシェンドを意識してください。全ての要素が増殖するようなイメージで125小節目のクライマックスをめざして束なっていくように!127小節目からはAnimatoとありますので、少し前のめりになっても構いません。ここは活き活きと、ぐいぐいまいりましょう。ここでファーストのモチーフは冒頭と同じです。それがわかるように、たとえば4分音符の長さのこだわりのようなところをきっちりやりましょう!ドラは最大の難所ですが、練習の成果が実りつつあると感じています。素晴らしい!157小節目からはエピローグ、全体的には「抜き」です。どんどん遠ざかるように。167小節目は駆け上がるのでちょっと前のめりに!ただし、167の4拍目で戻すように。
2楽章
6拍目のアウフタクトの場所がきっちり取れるように、イメージトレーニングをお願いします。なにしろ、それがいのちですから。たとえば出だしのところですが、最初にセカンドが出る。楽譜上では2小節目でセカンドが6つ8分音符を弾きます。その6つ目の音がファーストのアウフタクトと重なるわけです。これが決まればこの曲は出来たようなものでしょう!22小節目のセカンドの頭、23小節目のファーストの頭はくっきり奏してください。掛け合いの感じを際立たせるためです。チェロ、ギター、ベースの27小節目はフォルテですが、28小節目のから、小節の頭をそろえて、くっきり奏してください。28、29、30というふうに抜いていくような感じで。
トリオのメロディ、マンドリンは「ソッミ ドッラ ソミドレ」の最初のドの音に、低音は「レッシ ソッミ レシソラ」の最初のソの音がくっきりするように。
2007年11月27日
ゆう
最近のプレソでこだわりはじめていることのひとつに、「入り」と「抜き」っていうことがあります。これはテンションの問題だと思うんですが、つまり、「だんだん高まっていくのか」それとも「さがっていくのか」とうことです。音量と無関係ではないと思いますが、ひょっとすると「音の密度」の問題かもしれません。演奏上どうすればこの感じが表せるのかっていうのは、奏者に委ねるとして、指揮者の立場からの要求とすれば、勢いが増すのか衰えるのかっていうことかもしれません。参考にすべきはいわゆるピリオド奏法という古楽器アンサンブルのことです。フンニャーっていう音ですね。必ず音の行方は「抜き」になっている。ちょうど水が上から下に流れていくように、まるで流れ星が尾を長く引くように、流線型っていうのかな。そう、自然界に観られるような「減衰」の仕方が理想でしょうね。それをトレモロっていう技術で表現しようとしたら、トレモロの回転数の問題ではなくて、密度っていうところにいよいよ踏みこまなくてはならないという気がしてくるのです。
次の問題は、これもマンドリン系への注文になってしまいますが、「トレモロで音符を敷き詰めない奏法」のこと。別の言い方をすれば「音符の途中でトレモロを止めてしまって、ただし、最後に単音に移行するときに、まるで鳥が上昇気流を捉えるときの瞬間のように、空に舞い上がるように単音に移行する奏法」つまり、トレモロから単音に移るときに、響きを保ってその響きの行方にしっかりと責任を持たせるっていうことです。単音で放った瞬間に音符の長さを意識することができるわけで、そうなると、たとえば付点4分音符と8分音符の組み合わせのようなパターンの場合、付点4分音符の真ん中くらいで単音に放った瞬間に、次の8分音符の場所を正しく見定めることができるのでは、というところです。さらに言うと、激しいぶっ放し方の移行と、柔らかくまるでいつ移行したのかわからないくらいに溶け込んでしまうような移行の仕方があると思います。前者は比較的容易なやりかたで、下手をすると、妙に拍拍(はくはく)してしまったりします。それは、真ん中で切るというふうに誤解してしまったときに陥りやすい現象です。そうではなくて、放った先の音のイメージを大切にしさえすれば、ソフトランディングが可能となるのです。このトレモロと単音のつながって出来る音作りがひとつのテーマになると思います。
今回のチマローザはまさにこの実験にはぴったりの材料と言えましょう。詳細は各パートのリーダーに相談してみてください。
シンプルシンフォニー
1楽章
冒頭の4拍目と次の1拍目のパターンは最初の4分音符は短めに、2つ目の音の方は4分音符分しっかり保つということにしました。いままでの練習では2分音符のように響かせていましたが、ここは、きっちり4分音符分ということにします。
6小節目のアウフタクトから始まるギターとチェロの第一テーマ。これは、いろいろなパートでも奏されますが、このアウフタクトの場所と、次の1拍目の4分音符(マンドリン系はすべてトレモロとしました)の関係がいのちです。離れすぎてもいけない、くっつきすぎて、転んだようになってもだめ。全体的にこの曲はアウフタクトがいのちですね。小気味いい乗りで、運動が淀まないように。この曲のもうひとつのモチーフは最初セカンドで7小節目のアウフタクトで現れる8分音符の旋律。これを「批評家のお小言」としましょう。批評家はいつもぶつぶつと理屈をこねくり返しています。この「ぶつぶつ言う」感じを表すには最初はピアノでもちょっとくっきり弾き始めて、弾きはじめたら、必ず「ぬく」ということです。そこはかとないような音で、陰でこそこそやるみたいに、そう、まるでひそひそ話しでもするかのように。しかし、うわさ話はあっという間に伝染して、広まっていくものです。7小節目の3拍目の4分音符の長さが微妙です。この音は当然のことながら、フレーズの終着点。だから、その次の4拍目に「ずるずる」と滑り込んではいけません。改めて、4拍目から批評が始まる。フレーズ感を明確に描きたいところです。
ドラだと同じようなところは11小節目のアウフタクトから3拍目までがひとつのフレーズ。始まってから3拍目に到達するまではひとつの勢いでまいりましょう。改めて4拍目からまた始まりますので、そこはくっきり、それでまた抜きです。ファーストだったら、この「批評家」のフレーズが出てくるのは23小節目にアウフタクトから。フォルテとありますが、ここも「抜き」です。第一テーマはいろいろなパートに表れますが、アウフタクトのチャーミングな感じがどこで表れても同じようなニュアンスでいけたらと思います。32小節がひとつのサミットです。その3拍目まで駆け上がる感じはどうしたって、前のめり気味になります。むしろその方がいきいきとした感じになっていいのだろうと思います。一気に駆け上がる!となると、その小節の4拍目でテンポを戻すために、長めになるのは自然な流れでしょう。33小節目は冷静にインテンポで。ここはふらふらしないようにしましょう! 14小節目の頭の4分音符、18小節目の頭、20小節目の頭、そして、ちょっと不規則にはなりますが21小節目の3拍目の4分音符は長めに取りましょう。ただし、そのあとは冷静に戻してメゾフォルテにもどってください。このあたりがイギリスの音楽っていう感じがします。どこか、くそ真面目っていう感じがしてくるのです。それで、またぶつぶつ言っていやがる、みたいな感じです。4分音符で動いている人も、まるで何事もなかったかのように、涼やかにテンションを戻して、このあたりは、まるで、ポーカーフェース、気位の高さすら髣髴とさせます。上手い演奏を聴くと、このあたりの8分音符で動く「批評家」の派パッセージは遅く聴こえるくらいです。テンションがあがらないんですね。このあたりはロッシーニのようになったらむしろ台無しです!
35小節目からは、第2主題の登場です。この伴奏パートの付点2分音符は2分音符分の長さのところでトレモロを止めましょう。ただし、その後は響きで残すようにしてください。第2主題そのもの弾き方は前半がテンションの「入り」で、後半は「抜き」。「抜き」が始まる最初の音が頂点になるように。その音がくっきりと聴こえてくるように工夫してみてください。たっぷりとふくよかに響き渡るように、音の立ち上がりにも工夫が必要です。7小節目からはピアノの世界。86小節目からはセカンドとファーストの掛け合い、それがドラに移り、チェロとギターに受け継がれる。今度はセカンドとチェロとギターの掛け合い。このあたりは4分音符の流れがくっきりと聞こえるように、逆に8分音符の「批評家」パッセージは小さめに。106小節目からはドラとセカンドが重なり合いながら、そしてセカンドとファーストの掛け合いに発展していきます。114小節目からは全体としてクレッシェンドを意識してください。全ての要素が増殖するようなイメージで125小節目のクライマックスをめざして束なっていくように!127小節目からはAnimatoとありますので、少し前のめりになっても構いません。ここは活き活きと、ぐいぐいまいりましょう。ここでファーストのモチーフは冒頭と同じです。それがわかるように、たとえば4分音符の長さのこだわりのようなところをきっちりやりましょう!ドラは最大の難所ですが、練習の成果が実りつつあると感じています。素晴らしい!157小節目からはエピローグ、全体的には「抜き」です。どんどん遠ざかるように。167小節目は駆け上がるのでちょっと前のめりに!ただし、167の4拍目で戻すように。
2楽章
6拍目のアウフタクトの場所がきっちり取れるように、イメージトレーニングをお願いします。なにしろ、それがいのちですから。たとえば出だしのところですが、最初にセカンドが出る。楽譜上では2小節目でセカンドが6つ8分音符を弾きます。その6つ目の音がファーストのアウフタクトと重なるわけです。これが決まればこの曲は出来たようなものでしょう!22小節目のセカンドの頭、23小節目のファーストの頭はくっきり奏してください。掛け合いの感じを際立たせるためです。チェロ、ギター、ベースの27小節目はフォルテですが、28小節目のから、小節の頭をそろえて、くっきり奏してください。28、29、30というふうに抜いていくような感じで。
トリオのメロディ、マンドリンは「ソッミ ドッラ ソミドレ」の最初のドの音に、低音は「レッシ ソッミ レシソラ」の最初のソの音がくっきりするように。
2007年11月27日
ゆう
古いメロディアのレコードに入っていたものを、久々にレコードで聴いてみたら、懐かしい音がしました。演奏はレニングラードの室内楽メンバーの演奏、指揮はロジェストベンスキー。
シャーっという音の間から、かすかに聴こえてくる、まったく洗練されていない音は、まるで何者かが忍び寄ってくるかのようで、これが結構いけます!暗闇で、気の抜けたワインを味わいながら聴くと、なおさら深みのある、人生そのもののような音で聴こえてきます。物憂げななかにも、ときには希望に満ちて心を躍らせたり、ついには舞い上がったりもします。しかし、落とし穴はきまって、そんなふうに有頂天になっているときに、しかも、突然やってくるものです。一気に崖から崩れ落ちるように、あっという間に果ててしまいます。あぁ、人生とは、儚きものなり!
がさがさやっていたら、ピアノのソロなんていうバージョンも出てきました。こちらは、いつもぐしゃぐしゃになってしまうクライマックスのところや、舞い上がるところの和声がかなりくっきりとして、音が鮮明に現れています。しかし、なぜか、かえって危うい感じになっています。ひょっとすると、あそこは混沌として、洪水みたいに、全てが流されてしまう、しかし、それに向かって懸命にもがいているさまのようですね。ピアノ自体の音も北国の張り詰めた空気を浴びてか、吹きさらしのように枯れて乾いた音で鳴るのです。なぜか、北原白秋の誌を思い浮かべていました。
おやっ?出てきました、今日はついているのかも!これこそ、まるで化石のような音源。そう、オシポフの演奏。いやぁ、これはいい!もう、この曲はこういう楽器のために作ったのではないかと錯覚するくらい、なんていうのかなぁ、ほの暗くて、止まりそうになる、しかし、その寒々としたトレモロの響き。あぁ、人生とは、このように枯れているものなのでしょう。しみじみとしていて、寒いなかにも、ぬくもりすら感じさせる演奏です。しかし、それにしても、このクライマックスの迫力はいったいどうしたことでしょう。その劇的なこと!そして、最後に、あら野の果てに、空虚な音で鳴る3つの和音の儚いこと!
2007年11月6日
ゆう
シャーっという音の間から、かすかに聴こえてくる、まったく洗練されていない音は、まるで何者かが忍び寄ってくるかのようで、これが結構いけます!暗闇で、気の抜けたワインを味わいながら聴くと、なおさら深みのある、人生そのもののような音で聴こえてきます。物憂げななかにも、ときには希望に満ちて心を躍らせたり、ついには舞い上がったりもします。しかし、落とし穴はきまって、そんなふうに有頂天になっているときに、しかも、突然やってくるものです。一気に崖から崩れ落ちるように、あっという間に果ててしまいます。あぁ、人生とは、儚きものなり!
がさがさやっていたら、ピアノのソロなんていうバージョンも出てきました。こちらは、いつもぐしゃぐしゃになってしまうクライマックスのところや、舞い上がるところの和声がかなりくっきりとして、音が鮮明に現れています。しかし、なぜか、かえって危うい感じになっています。ひょっとすると、あそこは混沌として、洪水みたいに、全てが流されてしまう、しかし、それに向かって懸命にもがいているさまのようですね。ピアノ自体の音も北国の張り詰めた空気を浴びてか、吹きさらしのように枯れて乾いた音で鳴るのです。なぜか、北原白秋の誌を思い浮かべていました。
おやっ?出てきました、今日はついているのかも!これこそ、まるで化石のような音源。そう、オシポフの演奏。いやぁ、これはいい!もう、この曲はこういう楽器のために作ったのではないかと錯覚するくらい、なんていうのかなぁ、ほの暗くて、止まりそうになる、しかし、その寒々としたトレモロの響き。あぁ、人生とは、このように枯れているものなのでしょう。しみじみとしていて、寒いなかにも、ぬくもりすら感じさせる演奏です。しかし、それにしても、このクライマックスの迫力はいったいどうしたことでしょう。その劇的なこと!そして、最後に、あら野の果てに、空虚な音で鳴る3つの和音の儚いこと!
2007年11月6日
ゆう
行ってきました。いやぁ、素晴らしかった!この間聴いたのはたしか1985年の頃だから、もう随分前のことです。随分年月が経ったので、何らかの影響が及んだのではないかと心配したりもしていましたが、健在でした。残念だったのはメンバーが少なかったこと。でも、精鋭メンバーだったのではないかと思います。まるで魔法をかけられたかのように、そのファンタジーワールドにみるみる引き込まれていきました。デュナーミックレンジの幅の広いこと!音色の多彩なこと!緻密に磨きぬかれた技術水準。繊細な表現。それは、押したり、引いたり、こちらはただもう引き回されるばかりです。そして、なんといっても底抜けに楽しい!それで、かっこいいですね。ビシーッと引き締まったものがあって、圧倒的。音楽の遊びがあちらことらに現われて、音楽を聴いたというよりは、サーカスかフィギュアスケートでも見ているような感じでした。こうなると完全にショーかエンターテインメントのようなものです。プログラム構成がまたすばらしい!たしか1985年のときは、半分くらいが歌でしたが、今回は、もっぱらインストルメンタルで、このオーケストラのあらゆる可能性が存分に発揮されていました。マンドリンと同じようなトレモロの楽器なのに、どうしてこんなことができるのだろう?ほんとうに不思議なことですが、音楽的な素養、生まれ、育ち、食べるもの、言葉、気質、気候、もうあらゆるものが音に成って現われてくる感じです。「ぼくたちの音楽はこれです!」みたいなものが全員一丸となって発揮されています。そして、おそらくこれは間違いないことだと思いますが、相当な練習と場数をこなしてきた成果の現れに違いありません。決めの音、絶対のがしてはならない音、そこがビシッと決まっています。トリプルエクセルクリアーみたいに、じつに爽快です!単なる技術ではなく、スピンして着地する瞬間の形っていうんでしょうか、ただ指が回っているだけではないんですね。指が回るということはどうでもいいことではありませんが、そこに表現が加わって、一つ一つの音がしっかりコントロールできていること。はっきり言って、ぼくは、いままでこのようなレベルのマンドリンの合奏は聴いたことがありません。おそらくいまのような怠惰な環境ではあり得ないでしょうね。それくらい、トレモロの楽器は「コントロール」が難しいっていうことだと確信しました。ただ、うれしいことは、ここまでできる可能性があるということに具体的に接することができるっていう幸せ!うーん、凄いなぁ。ほんとうに凄い。たった20人くらいしか居ないのに、もの凄い迫力です。つまり、迫力とは相対的なものによってかなうということ。絶対的なものではありません。ほんとうのクライマックスは怒濤のように音が押し寄せてくるようでした。あぁ、剣の舞!そうかぁ、こういう曲だったんだぁ。なんていうか、音楽とはそもそも難しいものではなく、なるほど、これはまさしく戦いに出かける音楽なんだなぁと、思い知らされました。そして、隅々にまで行き渡っているものがあります。1人1人が全体でなにを表現しようかっていうことを考えています。自分の楽譜の世界だけで何かをしようというのではありません。まるで、ひとりひとりがスコアをみながら演奏しているようでした。
それにしても、残念だったのはお客さんが少なかったことです。どうして?これは、明らかに招聘側の落ち度ですね。凄く心配したのは、もうこれっきり日本には来ないのではと思ってしまたのでないかっていうことです。そう思うといてもたってもいられなくなったので、演奏が終わったらまっ先に楽屋に飛んでいきました。「関係者以外はご遠慮願います」とか声をかけられましたが、そんなことはどうでもいいことです。猪突猛進、ここ主催者にバリゲードは突破するためにあるようなものです。なんとしてでも、この感動の気持を直接ぶつけなければ!もうその危機感だけです。女性の楽屋は着替え中だったので、男性部屋に飛び込みました。さっそくバヤン(ロシアのアコーデオン)奏者のディミトリー・デミトリェンコ氏が大きな身体をゆらゆらさせながら、ネクタイをほどいていました。どうせ、言葉は通じないと思ったので「Fantastic! Just Excellent!」と叫んでもう何も考えずに抱きつきました。向こうも嬉しかったのか、握手を交わしました。あの、最長老(たしかステージでは50年と紹介されていました)のバラライカの名士を紹介してほしい!と頼んだら、すぐそこに、パンツ一枚になっているではありませんか!顔をくしゃくしゃにして、おじいさんがぬーっと立っていました。すかさず古いメロディアのレコードのジャケットを取り出して、「写っているか?」と尋ねてみたら、たいそう喜んで、探して指差してくれました!尊敬するウラジミールヤコフレフを知っているかと尋ねたところ、いまはモスクワにいるとのこと。終曲だった「行商人」で素晴らしいソロを披露してくれたバヤンのヴァレリー・チェルニンコ氏も寄ってきて、「ぼくはここにいる」と指差してくれました。みんな気さくな方ばかりで、指揮者の楽屋に行きました。なんて言ったかは覚えていませんが、賛辞を伝えたあと、ジャケットを見せると、おもむろにオシポフの歴史を綴った本を持ってきて「おまえにやる!」と渡されました。オーケストラ全員の顔写真が乗っていて、まるでプレソのパンフレットみたいでした!創設以来の歴史が貴重な写真とともに書き綴ってありました。ここで、写真を1枚とってもらいました。そして、必ず来年また来て欲しい!今回はお客さんが少なくてほんとうに申し訳なかった。次回は全員で来てください!とお伝えしました。そもそも意味不明だったのは前座の30分。オシポフを聴きに来たのに、なんで他の演奏を聞かされなければならないのか、まったく不可解でした。それも、延々と演奏を続けるのだけれど、いったいどうしてあぁなったのでしょうか?しかし、オシポフの演奏が始まったら、すべてどこかへいってしまいました。
2007年11月2日
ゆう
あれっ?このこと書いたっけ?最近は何を書いたかわからなくなって、いよいよ混乱してきました。もっとも、このブログは「音なし」の構えだから、誰も観ていないんだよね、空ブログっていうんだろうな、こういうの。そういえば、昨日「エンタ」に現れた「禅」よかったなぁ。もう、ひさびさに笑い転げました。さてと、もうダブってもいいから、今日は「オシポフ」のはなし。ぼくにとっては、幻の「オシポフ」です。今日、プレットロの演奏会でタマーラさんが2年ぶりに登場して、あいかわらず凄い演奏を披露してくれました。ほんとうに凄い。指が廻るっていう技巧の凄さだけじゃなくて、音楽そのものが凄い。演奏が終わったら、気さくな感じで客席に来られたら、たまたまぼくの席の前だったので、いろいろお話しをしてしまいました。「ロシア舞曲はちょっと速かったのでは?」と尋ねると「ご冗談でしょう?」だって。ほんとうはもっと速いんだって!びっくりです。ぼくが、尊敬するウラジミール・ヤコフレフのことを聞いたら、もちろんご存知とのこと、ヴェラ・ゴロドフスカヤの「Joily Domra」の譜面をもう30年近く探していると言ったら、探して送ってくれることになりました!今日のぼくの席は、斜め前が藤掛さんで、その隣りが朝岡さんという作曲家。この人の曲がとてもいい曲で、これも初対面でしたけど、楽譜を譲ってもらうようお願いしました。まだ出版されていないようです。曲名は「リオの風」5拍子曲で「ショーロ」っていう踊りだそうです。ぼくなんか、「だから、ポルトガルなんだなぁ、なんてほくそ笑んでいました。
あぁ、オシポフが来る。それでユーラシア協会に聞いたら、たったの36人しか来ないんだって。寂しいなぁ、こういうの。それで、ほとんどの曲歌の伴奏?哀しすぎます。もう、ほんとうことを言うと「幻滅」この一言に尽きます。だから、ソビエトは終わった。そしたら芸術も退廃してしまった。でも、そんな風には思いたくもありません。だから、ぼくたちは、いまはブルックリンにいるタマーラさんなんかにも負けないくらいの「正統派ロシアの民族オーケストラ」の魂を見せ付けて欲しいと、ただ、ひたすら、ノスタルジックに思いを寄せています!おーい、プレソのみんな、これ観てないんだろうな。次回の練習に出なくても、これは聴かなきゃならないよ!マンドリンにお手本は無いけど、これは音楽のお手本だから。少なくとも、ぼくはあこがれました。これがなかったら、マンドリンはとっくに終わっていたかもしれません。ほんとうに、凄いです。
みんなでいきましょう!
ほんとうは、滞在期間がぼくたちの月例会までOKだったら、来てもらいたいくらいです。
オシポフの凄さは、意外アレンジものにあるんだけど、メロディアのレコード誰かに貸したっきり返ってこないんです。ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」や「火の鳥」やってるんですけど。哀しきワルツ(シベリウス)や、ドビュッシーの「月の光」やシューマンの「トロイメライ」なども入っていました。どこにいちゃったのかなぁ?
2枚だけチケットは購入しました。
誰かいける人がいたら、速いもの順です。でも、どうせ誰もこれ、気づいていないんでしょうね。誰も申し出がいなければ、誰か誘って聴きにいきます。
日程は10月30日。
場所はカザルスホール。
終演後はもちろん楽屋に押しかけます。
カザルスだから、帰りがけには「山の上のホテル」あたりで一杯やりましょう!
2007年10月14日
ゆう
あぁ、オシポフが来る。それでユーラシア協会に聞いたら、たったの36人しか来ないんだって。寂しいなぁ、こういうの。それで、ほとんどの曲歌の伴奏?哀しすぎます。もう、ほんとうことを言うと「幻滅」この一言に尽きます。だから、ソビエトは終わった。そしたら芸術も退廃してしまった。でも、そんな風には思いたくもありません。だから、ぼくたちは、いまはブルックリンにいるタマーラさんなんかにも負けないくらいの「正統派ロシアの民族オーケストラ」の魂を見せ付けて欲しいと、ただ、ひたすら、ノスタルジックに思いを寄せています!おーい、プレソのみんな、これ観てないんだろうな。次回の練習に出なくても、これは聴かなきゃならないよ!マンドリンにお手本は無いけど、これは音楽のお手本だから。少なくとも、ぼくはあこがれました。これがなかったら、マンドリンはとっくに終わっていたかもしれません。ほんとうに、凄いです。
みんなでいきましょう!
ほんとうは、滞在期間がぼくたちの月例会までOKだったら、来てもらいたいくらいです。
オシポフの凄さは、意外アレンジものにあるんだけど、メロディアのレコード誰かに貸したっきり返ってこないんです。ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」や「火の鳥」やってるんですけど。哀しきワルツ(シベリウス)や、ドビュッシーの「月の光」やシューマンの「トロイメライ」なども入っていました。どこにいちゃったのかなぁ?
2枚だけチケットは購入しました。
誰かいける人がいたら、速いもの順です。でも、どうせ誰もこれ、気づいていないんでしょうね。誰も申し出がいなければ、誰か誘って聴きにいきます。
日程は10月30日。
場所はカザルスホール。
終演後はもちろん楽屋に押しかけます。
カザルスだから、帰りがけには「山の上のホテル」あたりで一杯やりましょう!
2007年10月14日
ゆう
序曲集のCDを聴きました。残念ながら今回やる曲は入っていませんでした。チマローザはオーケストラで聴いても、ぼくたちがやっているのとほとんど変わりません。軽快で、気品があって、優雅です。でも、どこか滑稽で、なにしろ、ひたすら、ころころと弾んでいます。例の「秘密の結婚」という、ちょっと難しいやつ、それとそっくりな曲が入っていました。あれっ?これ聴いたことあるぞ!と思ったとたんに、その先がすり変わっていました。きっと引用したのでしょうね。しばらく聴いていくと、また「秘密の結婚」の旋律が戻ってきました。きっと、この頃はおおらかだったのでしょうね。チェンバロがジャリンとアルペジオで、いい味を出しています。(そうかギターはこういうふうに参加するっていう手もあるぞ!みたいに思いました。)通奏低音っていうでしょうか、コードを鳴らして古楽器的に色を添えています。おそらくヴァィオリンもオールドに違いありません。この「ピリオド路線」というのをプレソの道に重ねてみたら面白いかもしれませんね!まずはロングトーンの「中膨らみ的」な響かせ方。しなやかに、反り返るような響き。ふわっと膨らませるようなアクセント。くっきりしているんだけど、しなやかな調べ。それで、フレーズの最後はかならず「富士山の裾野」みたいに、長く引いていきます。これは、ぼくたちが狙っている「増幅・振幅するトレモロ奏法」にも確かに通ずるものがあります。しばらくチマローザは、この古い楽器路線でいきたいと思います。とくに序奏部のしなやかさ。いろいろ工夫してみましょう。最初の「ジャジャーン」っていうやつ。この「ーン」というところの処理ですね。いまは単音ですが、これをどうやって「撓らせる」かっていうこと。何かの工夫が必要でしょう。単音だとひたすら減衰してしまう。それなら、テンポを落としてでも、短いトレモロでやってみましょうか?それで最後はアップで抜くように!この、「膨らまし・抜き奏法」ですね。この技術を共有しましょう。さらんひは平らな付点音符の処理方法。錯覚でもいいんです。どうやったらそう音が耳に残るかっていうこと。これもひとつの研究テーマになると思います。「あっめ、あっめ、ふっれ、ふっれ、かーあさーんがー」ではなくて「あーめーあーめふーれふーれかーあさーんがー」みたいに聴こえるように!
同じ音を続けてかき鳴らすようなところも、響きがだんだん増幅していくような感じにしてみましょう!しばらく、ピリオド楽器の演奏を聴いてみることにします。そういう団体があってもいいのでは、という気もしてきました。
2007年10月14日
ゆう
同じ音を続けてかき鳴らすようなところも、響きがだんだん増幅していくような感じにしてみましょう!しばらく、ピリオド楽器の演奏を聴いてみることにします。そういう団体があってもいいのでは、という気もしてきました。
2007年10月14日
ゆう
今年最後の編曲はこれになりました。シンフォニーのアレンジはこれで3曲目になります。福岡シンフォニックマンドリンオーケストラからの依頼で、じつは注文を受けたのはとっくの昔でしたが、なかなかなか着手できませんでした。「新世界」はベースからクレームが出たので、マンドリン合奏というバランスで最適な配置を検討しながら進めてみたいと思います。随分いろいろな演奏を聴きました。映像ではムラビンスキーとスベトラーノフを観ました。練習風景まで写っていて、これは見ごたえがあります。最近サイトウ記念オーケストラで録音したものが評判がいいようです。レコ芸では宇野先生は、小澤さんはいつも「意味不明」と叩かれていますが、これは珍しく「推薦盤」になっていました。体育の日にサイトウ記念の番組が放映されていたので、ここでやるのかなと思っていたら、メインは「幻想」でした。
「革命」を聴くとき、いつも戦艦ポチョムキンという無声映画の白黒の暗い画像が過ぎります。あの息苦しい感じはいったいなんだったのでしょう?今回は、管楽器を入れない禁欲的な編成ですので少しわくわくしています。その分乾いた音色の打楽器を挿入します。もちろんピアノも欠かせません!来週の火曜日に福岡から上京する山口さんと一杯交わす予定です。その日スコアを眺めながら、いろいろと談義して、もちろん山口さんの熱い想いや、団員のみなさんのイメージをよく頭にたたきこんで、それでガラガラぽんとやりましょう。しかし、ぼくはぼくで、人生の集大成というようなものっていうんでしょうか。そういうものを投影しながら臨みたいと思います。
マンドリンの苦悩するトレモロや、天上を照らす光のレーザーのような音。同じトレモロでも質量をいろいろ配合して、奏法そのものにもこだわってみたいと思います。最近は、単に単音、トレモロという区別ではなく、ピックのあて方、その角度や回転のイメージ(単にトレモロの数のことではなく、共鳴の度合いのようなこと)にもこだわってみたいと考えています。
2007年10月12日
ゆう
「革命」を聴くとき、いつも戦艦ポチョムキンという無声映画の白黒の暗い画像が過ぎります。あの息苦しい感じはいったいなんだったのでしょう?今回は、管楽器を入れない禁欲的な編成ですので少しわくわくしています。その分乾いた音色の打楽器を挿入します。もちろんピアノも欠かせません!来週の火曜日に福岡から上京する山口さんと一杯交わす予定です。その日スコアを眺めながら、いろいろと談義して、もちろん山口さんの熱い想いや、団員のみなさんのイメージをよく頭にたたきこんで、それでガラガラぽんとやりましょう。しかし、ぼくはぼくで、人生の集大成というようなものっていうんでしょうか。そういうものを投影しながら臨みたいと思います。
マンドリンの苦悩するトレモロや、天上を照らす光のレーザーのような音。同じトレモロでも質量をいろいろ配合して、奏法そのものにもこだわってみたいと思います。最近は、単に単音、トレモロという区別ではなく、ピックのあて方、その角度や回転のイメージ(単にトレモロの数のことではなく、共鳴の度合いのようなこと)にもこだわってみたいと考えています。
2007年10月12日
ゆう
最近、料理しないなぁ。料理は好きなのだけど、ここのところちょっと怠けています。
得意なのはハンバーグ。正確に言うと、煮込みハンバーグです。今月のダンチューの特集は「洋食屋さん」ということで、ぼんやり雑誌を眺めていたら、久々に作ってみたくなりました。今度の週末は久々に作ってみましょう。レシピはいたって簡単なもの。お手本は帝国ホテルの元料理長村上信夫さんのものです。コツは捏ねるときに、しっかり叩くこと。卵を1個入れて、隠し味はリーペリンソース。白ワインでたまねぎを煮つめたら、トマトノ缶ジュース2つをハンバーグにかけながら加えて、あとは、ひたすらぐつぐつ煮込むだけ。付け合せはニンジンのグラッセとマッシュポテト。これでまいりましょう!
昔、アクサの本社があった裏にあった「葡萄屋」のハンバーグは美味しかったですね。いまでもあるのかなぁ?「つばめグリル」のハンバーグは身が柔らかすぎるのが難です。つばめグリルだったら、お薦めは「羊肉のソテー」。あの辛子味のソースは絶品です!このあいだ久々に東京駅のオアゾ店でいただきました。昔は、トマトのまるごとサラダはランチにはおまけで付いてきたのですが、別料金になっていました。
麻布十番にも、美味しそうな洋食屋が紹介されていました。いまのうちに、お昼に立ち寄ってみることにしましょう。そのときは、また実況レポートします。
写真は羊肉のソテー(つばめ「オアゾ店」)
2007年10月10日
悠々
得意なのはハンバーグ。正確に言うと、煮込みハンバーグです。今月のダンチューの特集は「洋食屋さん」ということで、ぼんやり雑誌を眺めていたら、久々に作ってみたくなりました。今度の週末は久々に作ってみましょう。レシピはいたって簡単なもの。お手本は帝国ホテルの元料理長村上信夫さんのものです。コツは捏ねるときに、しっかり叩くこと。卵を1個入れて、隠し味はリーペリンソース。白ワインでたまねぎを煮つめたら、トマトノ缶ジュース2つをハンバーグにかけながら加えて、あとは、ひたすらぐつぐつ煮込むだけ。付け合せはニンジンのグラッセとマッシュポテト。これでまいりましょう!
昔、アクサの本社があった裏にあった「葡萄屋」のハンバーグは美味しかったですね。いまでもあるのかなぁ?「つばめグリル」のハンバーグは身が柔らかすぎるのが難です。つばめグリルだったら、お薦めは「羊肉のソテー」。あの辛子味のソースは絶品です!このあいだ久々に東京駅のオアゾ店でいただきました。昔は、トマトのまるごとサラダはランチにはおまけで付いてきたのですが、別料金になっていました。麻布十番にも、美味しそうな洋食屋が紹介されていました。いまのうちに、お昼に立ち寄ってみることにしましょう。そのときは、また実況レポートします。
写真は羊肉のソテー(つばめ「オアゾ店」)
2007年10月10日
悠々
これがひとつの課題でしょう。言い換えると、トレモロで失速しないっていうんでしょうか?この切り替えはよほどの達人でもなかなか克服できないところです。でも、どの教本にもこんなことは書いてありません。それは教本が2次元だからです。じつは、音楽は4次元ですから。つまり、時間軸が加わるっていうこと。そこで、ダウンアップがときどき、2次元的に聴こえてしまうときがあるんです。これが一番危険な状況です。じつは、ダウンとアップにも空間がなければならない。そう、「たわみ」っていうことです、これが加われば3次元になれる。そこで、時間軸です。ですから、たとえば、ロングトーンをトレモロしているだけで、どうやって速さを伝えるか、みたいなことです。夏の庭のような曲はロングトーン、しかもトレモロで奏することが多いので、こういう問題が起きます。つまり、何をやっているのかわからなくなってしまう、っていう錯覚ですね。どこにいるのかわからなくなる、ラビリンス現象です。8分音符をダウンアップで連続していて、いきなりトレモロのロングトーンに突入した、その瞬間が大抵、一番やっかいな状況でしょう。あるいは、単音のときに続いてきた勢いが決壊するという恐ろしい現象です。赤とんぼの旋律を8分音符はダウンアップの単音で、4分音符以上をトレモロで奏するということをやってみれば、試してみることができます。テンポの設定によっては、どうでしょう?かなりぎこちなくなるかもしれません。でも、これが、実はマンドリン合奏の最大の弱点です。これをどう克服できるかはひとつの次元を超えるためには避けられないハードルかもしれません。いかにダウンとアップをコントロールできるか、これに尽きるのかもしれませんが、これが意外にできていません。しかも、テンポのあらゆる変化に対応しなければならない。だって、テンポは一定ではありませんから!ここでいうテンポとは、引き始めのテンポのことばかりではありません。それがお互いの合奏のやりとりで、融合したり反目しあったりしながら、有機的出来上がっていく過程のその変化そのものであります。ここがマンドリン合奏の最大の試練の瞬間です。しかし、プレ素はここを逃さないようにしましょう。それは、奏法を越えたその先にある本質的に「何をやりたいのか」というもののを共有するということでしかないのかもしれません。さぁ、その「何」とは何か?それを探るというのが、じつは合奏の最大の楽しみなのかもしれません。
ちょっと、今日はこんがらがってしまいました。
また、そのうち整理されることもあるでしょう。
2007/10/9
ゆう
ちょっと、今日はこんがらがってしまいました。
また、そのうち整理されることもあるでしょう。
2007/10/9
ゆう
立て続けに3枚聴きました。最近はアマゾンで注文するとマンドリンのCDも容易に手に入るようになりました。今回聴いたのは以下の3枚。
①SPAGHETTI RAG(Naxos 8.557999)Raffaele Calace Plectrum Quntet, Center Boy’s Rag Band, The Italian Mando-Rag Club di Brescia, Ugo Orlandi, Claudio Mandonico
②Raffale Calace Mandolin Concertos Nos. 1 and 2 (Naxos 8.570434)Alison Stephens (Mandolin), Steven Devine (Piano)
③CZECH IT OUT (acd 11)Radim Zenkl(Mandolin, Hammered Mandolin, Slide Mandolin, Mandolin Banjo, Octave Mandola)
①はタイトルがかわいいなぁと思って衝動買いしました。エンタティナーやメイプルリーフラグなどのおなじみのナンバーもしっかり入っています。最初のイタリアンラグの音は衝撃的といっていいくらい、素晴らしい音が聴こえてきました。響きが充実していて質の良さがわかります。誰の演奏だろうと思ってみたら、この間のクリスマスのCDと同じような仲間の演奏でした。全部マンドリンではなく、ウゴ・オルランディやクラウディオ・マンドニコといった著名な方々がそれぞれトランペットやテナーサックスなども吹いています。多彩なんですね!CDを聴いていくと、ひとつ気になってくることがあります。それは、音楽が停滞しているっていうことです。前にすすまないんですね。リズムが重く、だんだんめいってしまいます。むしろ、ホンキートンクのピアノが入ると、まるで見違えたようにノリがよくなるのはどうしたことでしょう?どの曲も音質も変化がないので、最後まで聴き通すのはたいへんです。結局、お勧めなのは1曲目。このはじける音。これは素晴らしいです。こういう音が出せるといいですね。
②出勤の途中で聴いたので、条件は最悪ですが、しかし、あまりにもさっぱりした音楽で、ところどころ止まりそうになるのは、おそらくテクニックではなく、音楽観の違いというところでしょう。しかし、音がきらきらしないのは問題です。フレーズも短く途切れてしまい、マンドリンってこんなものかと思われたら、ちょっとこまるかも?技術はしっかりしているようだけど、こちらに全然伝わってこない。おそらく、出勤途中だったので、周囲の雑踏もあり、こちらの気分が低迷していたことが90%の問題だと思います。今度、暗闇で旨い酒でも傾けながら、じっくり聴いてみようと思います。しかし、その出勤途上の最悪のテンションの下でも、ピアノは素晴らしい響きで、とくに最後の曲「倭人の踊り」は見事なものです。和音の微妙な展開が、ほんとうに冴え渡っているようで、伴奏経験者としては、まさにこういうのにあこがれますね。
③たった一人でいろいろなマンドリン、しかも自作の楽器ばかりなようです。楽器の音もきらきら輝いていてしかも、音楽のノリっていうんでしょうか、冴えわたっています。チェコ出身で、いまはサンフランシスコで活躍しているようです。例のモダンマンドリンカルテットのマイク・マーシャル氏が解説を書いていますが、絶賛しています。デュオ奏法について解説してありましたが、どうやらこの奇才は独自に開発したフィンガーピックをはめながら、まるでチターのように伴奏を鳴らしながら、トレモロでメロディを鳴らすとあります。(ぼくの英語は怪しいので、間違っているかも?)シンクロナイズド奏法!これは凄い快挙です。マンドリンの奏法をいろいろ工夫して、探求している人がいると思うと、ほんとうにうれしくなります。このCDはどこで買ったのか、覚えていません。おそらく、アメリカに出張したときに目にとまったものだと思います。ずっと棚に積んでありました。そう、最近はしっかりマンドリンの演奏をいろいろ聴いてみようと決めています。それで、感じたまま、率直な感想を書いてみようと思います。この人のトレモロはきれいです。音をつなげようという心が伝わってきます。最近、機関銃の機銃掃射みたいな、トレモロは早ければいい、みたいなのが多かったので、ほんとうに久々に震え上がるような音を聴くことができました。
2007年10月6日
ゆう
①SPAGHETTI RAG(Naxos 8.557999)Raffaele Calace Plectrum Quntet, Center Boy’s Rag Band, The Italian Mando-Rag Club di Brescia, Ugo Orlandi, Claudio Mandonico
②Raffale Calace Mandolin Concertos Nos. 1 and 2 (Naxos 8.570434)Alison Stephens (Mandolin), Steven Devine (Piano)
③CZECH IT OUT (acd 11)Radim Zenkl(Mandolin, Hammered Mandolin, Slide Mandolin, Mandolin Banjo, Octave Mandola)
①はタイトルがかわいいなぁと思って衝動買いしました。エンタティナーやメイプルリーフラグなどのおなじみのナンバーもしっかり入っています。最初のイタリアンラグの音は衝撃的といっていいくらい、素晴らしい音が聴こえてきました。響きが充実していて質の良さがわかります。誰の演奏だろうと思ってみたら、この間のクリスマスのCDと同じような仲間の演奏でした。全部マンドリンではなく、ウゴ・オルランディやクラウディオ・マンドニコといった著名な方々がそれぞれトランペットやテナーサックスなども吹いています。多彩なんですね!CDを聴いていくと、ひとつ気になってくることがあります。それは、音楽が停滞しているっていうことです。前にすすまないんですね。リズムが重く、だんだんめいってしまいます。むしろ、ホンキートンクのピアノが入ると、まるで見違えたようにノリがよくなるのはどうしたことでしょう?どの曲も音質も変化がないので、最後まで聴き通すのはたいへんです。結局、お勧めなのは1曲目。このはじける音。これは素晴らしいです。こういう音が出せるといいですね。
②出勤の途中で聴いたので、条件は最悪ですが、しかし、あまりにもさっぱりした音楽で、ところどころ止まりそうになるのは、おそらくテクニックではなく、音楽観の違いというところでしょう。しかし、音がきらきらしないのは問題です。フレーズも短く途切れてしまい、マンドリンってこんなものかと思われたら、ちょっとこまるかも?技術はしっかりしているようだけど、こちらに全然伝わってこない。おそらく、出勤途中だったので、周囲の雑踏もあり、こちらの気分が低迷していたことが90%の問題だと思います。今度、暗闇で旨い酒でも傾けながら、じっくり聴いてみようと思います。しかし、その出勤途上の最悪のテンションの下でも、ピアノは素晴らしい響きで、とくに最後の曲「倭人の踊り」は見事なものです。和音の微妙な展開が、ほんとうに冴え渡っているようで、伴奏経験者としては、まさにこういうのにあこがれますね。
③たった一人でいろいろなマンドリン、しかも自作の楽器ばかりなようです。楽器の音もきらきら輝いていてしかも、音楽のノリっていうんでしょうか、冴えわたっています。チェコ出身で、いまはサンフランシスコで活躍しているようです。例のモダンマンドリンカルテットのマイク・マーシャル氏が解説を書いていますが、絶賛しています。デュオ奏法について解説してありましたが、どうやらこの奇才は独自に開発したフィンガーピックをはめながら、まるでチターのように伴奏を鳴らしながら、トレモロでメロディを鳴らすとあります。(ぼくの英語は怪しいので、間違っているかも?)シンクロナイズド奏法!これは凄い快挙です。マンドリンの奏法をいろいろ工夫して、探求している人がいると思うと、ほんとうにうれしくなります。このCDはどこで買ったのか、覚えていません。おそらく、アメリカに出張したときに目にとまったものだと思います。ずっと棚に積んでありました。そう、最近はしっかりマンドリンの演奏をいろいろ聴いてみようと決めています。それで、感じたまま、率直な感想を書いてみようと思います。この人のトレモロはきれいです。音をつなげようという心が伝わってきます。最近、機関銃の機銃掃射みたいな、トレモロは早ければいい、みたいなのが多かったので、ほんとうに久々に震え上がるような音を聴くことができました。2007年10月6日
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